2006年のニュース




●高松市立国分寺北部小学校の皆さんからの手紙(2006.12.17〜)



高松市立国分寺北部小学校4年生の皆さんから、国語の授業で「ごんぎつね」をはじめ、「巨男の話」、「花のき村と盗人たち」などの南吉作品を読んだ感想の手紙をたくさんいただきましたので、現在、エントランスホールで展示しています。国分寺北部小学校4年生の皆さん、ありがとうございました。南吉は高学年向きの作品も書いていますから、これからもいろいろ読んでみてくださいね。
※この手紙は、同校で行われた単元学習「感動の気持ちを作者に伝えよう−『ごんぎつね』−」の一環として書かれたものです。



国分寺北部小学校での授業の様子

子ども達の感想文から……

「兵十と加助が『神様のしわざだろう。』と気づいてもらえず、ごんは『ばかばかしい』と思ったと思います。でも最後までがんばったごんは『スゴイ!』と思います。ごんは兵十にうたれたけど、気づいてもらったから『よかった。』と思っていると思います。」
「人間は悪い面といい面を持っていると思います。人間と動物は共ぞんして生きることはできないのか。心をかよわせることはできるのか。その思いを『ごんぎつね』や『手ぶくろを買いに』にこめていると思います。」

新美南吉さんの本を読んで、勇気を持つ気持ちを学びました。そして、きちんと気持ちは伝えたら、いい気持ちになることが一番心に残りました。」
「ぼくは、新美南吉さんの書いた本を読んで、どの本にも読む人に伝えたい心があることが分かりました。ぼくはこれからも南吉さんの本をたくさん読んでたくさんの心を見つけていきたいです。」

 日本の名作「ごんぎつね」を学習することになり、子どもたちが意欲的に文学作品と向き合い、深く読み浸るには、どうすべきかを考えました。何か目標をもたせたいと考え、記念館の館長さんや挿絵を描かれた黒井健さんへ感想文や感想画を送ることにしました。

子どもたちは、目標をもって一生懸命ごんや兵十の気持ちを想像していきました。一文一文にこだわって登場人物の気持ちを読み取りました。すると、ごんは善い狐なのか、悪い狐なのか場面が進むにつれ、子どもたちは迷っていました。しかし、読み取りを終えると、子どもたちは、ごんや兵十の善し悪しを考える作品ではないことに気づき、ごんと兵十が、互いに相手の気持ちを考え、行動していれば悲劇的な結末はなく、二人とも幸せに暮らせたのに…と話していました。また、ごんの視点で書かれた文を、兵十の視点で書きかえる活動をしていく中で、しだいに作者の新美南吉に目を向けるようになりました。そして、文章技術や発想能力の高さにいつしか憧れを抱き、南吉の作品にのめりこんでいました。このような読み取りを進めていく中で子どもたちは、一文一文に隠されている登場人物の心情を深く読み取ろうとし、作者の伝えようとする作品の心を考えるようになりました。そして、新美南吉の多くの作品に興味をもち、文学に読み浸るようになりました。 単元を終えて、子どもたちは、新美南吉さんから、貴重な文学の心を学び、文学を読む楽しさを見つけることができました。思い出の一ページに深く残る、よい学習となりました。(国分寺北部小学校教諭 石原岳典)

 石原先生が来館されたのは平成18年8月月11日夏休みの最中でした。作品「ごんぎつね」や南吉についてのいくつかの質問の後、館内の展示や館長から子ども達へのメッセージ等をVTRに収め、学習の成果は後日に、と先生は帰って行かれました。そして12月。子ども達からうれしいたよりが届けられたのです。時々当館に送られてくる子ども達の感想文を読みながら、子どもとは何とすばらしい感性のもち主であるかとつくづく教えられます。南吉は子どもの内なる声を大切にし子どもの感性で物語を書くことが大切だ、といっています。そんな思いで書かれた南吉作品の一文一文に子ども達は実にみずみずしい感性で触れ感動しそれを書き綴り送ってくれています。送られた感想文等は館内に展示保管し、ご来館の皆様に見ていただいています。(新美南吉記念館館長 矢口栄)
(文・「新美南吉記念館だより」128より)



●「えと人形を塗ろう」開催(2006.12.9〜10)



半田市に江戸時代から続く乙川人形屋で作られた干支人形を使い、思い思いに色を塗る「えと人形を塗ろう」は新美南吉記念館の師走の恒例行事。今回は来年の干支「亥」の人形を塗りました。参加したあるお子さんは、「目が描くのが難しい」と言いながらも、最後にはとてもカラフルで素敵な亥ができあがっていました。


●ふみの日・落葉の葉書づくり教室開催(2006.11.23)



半田市内郵便局との共催で「ふみの日・落葉の葉書づくり教室」を行いました。まずは工作室で半田美原郵便局の大橋秀夫さんから紅葉する木や南吉作品との関わりについてお話を聞いたり、葉書の語源になったタラヨウの葉に爪楊枝でひっかいて字を書いてみたりしました。タラヨウの葉は思ったより奇麗に書けるので皆さんびっくりの様子。その後、童話の森に入り、植物の観察をしながら葉書づくりに使う葉を集めました。工作室に戻ったら、アイロンで漉き込み和紙風に仕上げることができる葉書を使って思い思いの葉書づくり。できあがった葉書には切手を貼り、最後は記念館の丸型ポストに投函しました。




●「新美南吉の世界をうたう」(2006.10.22)



10月22日(日)、ゆめたろうプラザ輝きホール(愛知県知多郡武豊町)で、新美南吉作品をうたう会主催の「新美南吉の世界をうたう」が行われました。約700名収容の会場はほぼ満席になりました。
この行事は、新美南吉生誕90年(2003年)記念の合唱オペラ「ごんぎつね」で兵十を演じた、声楽家鳴海卓さんが企画されました。鳴海さんは、『南吉の詩が語る世界』(矢口栄新美南吉記念館長著)を手にし、南吉の詩を音楽作品にしたいと思われたそうです。そして相談を受けた作曲家川口耕平さんによって「新美南吉の詩による六つの歌曲」を始め、「夕方河原」「からす」「道」など16編の詩に曲が付けられました。
南吉の詩は、矢口館長が著書の中で解説しているように「辛く悲しい作品とともに、はかなく美しい作品、ウィットとユーモアに富んだ作品、ひたすら二純粋なものを求めた作品」などバラエティに富んでいます。川口氏は詩に合わせて、童謡や歌曲など形態を変えて作曲され、南吉の詩は新しく「うた」に生まれ変わりました。
当日は、歌曲や合唱曲、童謡など16曲とともに、朗読と音楽、合唱で構成された南吉の「大力の黒牛と貨物列車の話」も上演されました。南吉のユーモア精神が発揮された面白い作品ですが、川口氏の曲と脚色によって面白さがより引き出され、会場の笑いをさそっていました。
今後もこうした機会を得て、南吉の「うた」が多くの方に親しまれるよう願っています。

(文・「新美南吉記念館だより」127より)



●「詩と音楽の夕べ」開催(2006.10.8)



10月8日(日)、「詩と音楽の夕べ」を行いました。会場となった半田市観光協会事務所には約30人が集まり、ヴァイオリンの演奏と南吉の詩の朗読に耳を傾けました。

“音楽をきいていると文学のことが考えられるからきくのである。私から汚い粕が落ちていって、私の精神がすっきりと美しくなって、明瞭に文学のことが考えられるから好きなのである。”(昭和10年・エッセイ「螢のランターン」) 

子どもの頃には、近所の寺で開かれたレコードコンサートに参加したり、東京外国語学校時代にはクラシック音楽のかかる喫茶店に通ったり、また晩年には教師をしていた安城高等女学校で、放課後、生徒を集めてレコードを聴かせたりと、クラシック音楽はいつも南吉の身近にありました。
「詩と音楽の夕べ」では、 南吉が好きだった曲や同じ作曲家の作品を矢口十詩子氏(名古屋フィルハーモニー交響楽団)がヴァイオリンで演奏し、南吉の代表的な詩を「きりんの会」(左下写真)が朗読しました。演奏されたのは、南吉がたまたま立ち寄った喫茶店で聴いて気に入ったという「アンダンテ・カンタービレ」(チャイコフスキー)や、一番好きだったという交響曲第六番「田園」を創ったベートーベンの「ロマンス」など八曲、詩は、「窓」「光」「牛」など12編が朗読されました。矢口栄館長による、解説を交えての1時間30分は瞬く間に過ぎ、最後はアンコールとして「ユ・モレスク」(ドボルザーク)が演奏されました。
会場の半田市観光協会事務所(小栗邸)は、かつて「万三商店」という味噌、溜の醸造、販売を行っていたところで、現在その建物は国の登録文化財に指定されています。南吉の作品に「最後の胡弓弾き」という童話がありますが、時代の流れとともに流行らなくなった門付けを続ける主人公木之助を、温かく迎える味噌屋の主人が登場します。会場の磨き込まれた床や背の高い振り子時計など、南吉が描いた作品の一場面を思わせます。こうした場所で聴くクラシック音楽と南吉の詩。南吉が言うように、「汚い粕が落ちていって、精神がすっきりと美しくな」ったかどうか。
参加者からは「南吉は童話した聞いたことがなかったのですが、今度は詩も読んでみようかと思いました。」「こんな間近でヴァイオリンを聞いたのは初めてです。来て良かったです。」といった感想が聞かれました。

(文・「新美南吉記念館だより」127より)



●「関西盲導犬協会ユーザーの会」の皆様が来館されました。(2006.10.8)



10月8日(日)、関西盲導犬協会ユーザーの会「つつじの会」の皆様が来館されました。視覚障害者と介助者32名とともにやってきたのは14頭の盲導犬。視覚障害者の団体が多くの盲導犬を連れて来館するのは初めてのことでした。
会員の方々は、当館館長や学芸員の説明を受けながら館内を見学、触れられる展示「花のき村と盗人たち」(彫刻)や視聴覚コーナーなどを楽しまれました。傍らで静かに仕事をこなす盲導犬の姿が印象的でした。今後も来館された方々に心地良く過していただける施設でありたいと思っています。

(文・「新美南吉記念館だより」127より)



●夏休みペーパーアート教室開催(2006.8.26) 



南吉童話を題材にしたペーパーアートの制作をライフワークとされている榊原澄香さんを講師にペーパーアート教室を行いました。用意された“ごん”の型紙にあわせて紙を切り、貼っていくのですが、細かな作業にたっぷり3時間かかりました。できあがった作品は色使いや表情が少しずつ異なり個性豊かなものとなりました。



●故泉啓一氏の硝子絵作品を展示中(2006.5.13) 




2003年に逝去された故泉啓一氏の新美南吉童話を題材とした硝子絵作品5点をエントランスホールで展示しています。
泉氏は、100点の作品からなる「宮澤賢治曼荼羅」(大阪国際児童文学館蔵)をはじめ、数々の児童文学を題材した硝子絵作品を制作しています。



●南吉が宮沢賢治の詩を添えて贈った童話集(2006.5.1)

  
写真左 南吉の献辞が書かれた童話集「おじいさんのランプ」
写真右 昭和17年頃 安城高女の図書室で(前列左新美南吉・同右大村博子さん)

日本児童文学界の双璧とも言われる宮沢賢治と新美南吉。生前、2人の間に直接の交流はありませんでした。しかし、南吉は作品を通して賢治を知り、とても尊敬していたことをご存じでしょうか。
この度、南吉の教え子である大村博子さん(東京都在住・80歳)から、そうした南吉の賢治に対する傾倒ぶりを偲ばせる資料が寄贈されました。
寄贈されたのは、南吉の処女童話集『おぢいさんのランプ』(昭和17年・有光社)と第2童話集『牛をつないだ椿の木』(昭和18年・大和書店)の二冊。このうち、大村さんが南吉から贈られた『おぢいさんのランプ』の見返しに、賢治の詩「春と修羅」の一節を含む南吉の献辞が書かれているのです。
大村さんは、南吉が安城高等女学校で4年間担任したクラスの生徒で、たびたび南吉から出版社に送る原稿の浄書を頼まれていました。童話集『おぢいさんのランプ』でも、他の生徒と共に浄書をしており、贈られた本はその御礼でした。
南吉は作文指導を通して、大村さんの文章力を高く評価していました。卒業時の最後の作文には赤ペンで「すでに文学の域に達している」と書き込んであったそうです。そうした生徒に贈るものですから、尊敬する賢治の詩をとくに添えたのかもしれません。
南吉が賢治を知るようになったのは、昭和7年に上京してからのことだと思われます。賢治の死から間もない昭和8年11月29日の日記には、「宮沢顕治(南吉の書き間違い)の死んだことをきいた。宮沢顕治はいゝ童話が沢山あるだろう。“朝の童話的構図”あれはすばらしい感覚的な童話だつた。」と記しています。翌年2月には、草野心平らによる第1回「宮沢賢治友の会」に出席。「雨ニモマケズ」の手帳を目にし、賢治の弟から法華経1巻、童話集『注文の多い料理店』、そして詩集『春と修羅』を贈られています。
その後、南吉は喀血して帰郷。昭和13年からは安城高等女学校の教師となりますが、この間も賢治への尊敬は変わりませんでした。むしろ病で死と向き合った経験から、人が生きる意味を深く考えるようになり、「おれはひとりの修羅なのだ」(「春と修羅」)という賢治に対する理解を深めていったと思われます。 「まことのことばはうしなはれ/雲はちぎれてそらをとぶ…」
自分の処女童話集に書き込み、教え子へ贈った賢治の詩。そこからは賢治の生き方に対する南吉の共感と憧れが伝わってくるようです。
寄贈された童話集は現在、当館展示室で公開中です。是非ご覧ください。
(文・「新美南吉記念館だより」bP24より)




●「手袋を買いに」が高校教科書に(2006.4.18)



現在、教科書に掲載されている南吉作品は、小学4年の「ごんぎつね」と同3年の「手袋を買いに」で共に国語ですが、来年度から高校1年の英語教科書で「手袋を買いに」が採用されることが決まりました。掲載されるのは三友社出版の「Cosmos English CourseT」。4月18日(火)には、教科書の執筆・編修に関わっている日本福祉大学情報科学部の安藤富雄教授と英訳を担当された同学非常勤講師の枝村泰代氏が当館を訪れ、文部科学省の検定合格を受けて作られた見本本を寄贈してくださいました。
(文・「新美南吉記念館だより」bP24より)



●矢勝川の環境を守る会が「みどりの愛護」功労者表彰を受ける(2006.4.22)



「みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰は、ボランティア活動で花と緑の愛護に功績のあった民間団体に対して表彰を行うもので、今年は全国で96団体が受賞し、「矢勝川の環境を守る会」もそのうちの一つに選ばれました。4月22日(土)には、国営木曽三川公園(一宮市)で皇太子殿下臨席のもと、第17回「みどりの愛護」のつどいが行われ、感謝状が贈呈されました。



●春のミニ展示「新美南吉と演劇」(期間:2006.3.18〜5.7)



南吉と演劇の関わりについて、東京で見た芝居や彼が創った戯曲を通してご紹介しました。
主な展示資料: 「ガア子の卒業祝賀会」「丘の銅像」原稿、築地小劇場のパンフレット、「一幕劇 場所の来るまで」、安城高等女学校の学芸会で使用したランプなど

昭和7年4月、東京外国語学校に進学した新美南吉は、学業と創作に励みながら古今東西の文学や芸術に親しむ毎日を送っていました。一年生の終わり、同じ北原白秋門下の兄弟子与田凖一から勧められたのが戯曲を書くことでした。彼の言葉に触発されてか、この時期南吉は、J・M・シング(1871〜1909 アイルランド)や、A・P・チェーホフ(1860〜1904 ロシア)などのさまざまな戯曲を読んでいます。また観劇に出かけたり、小学校の同窓会の総会で自作劇を上演したりと、彼は演劇に夢中になっていきました。もともと人間の真に生きる姿を求め、深層心理にまで着目して作品に描こうとした彼には、様々な人間の人生を演じる表現形式には強く惹かれるものがあったのでしょう。明治大学の学生が主宰する劇団「鴎座」に所属したり、東京外国語学校の語学大会で英語劇「リア王」に出演したりもしています。「自分はこうして映画にあく。次に劇に興味をもつ。しかし先が見えすいている。」と当時の日記に書いている南吉ですが、病を得て帰郷した後も教師をしていた安城高等女学校の生徒たちのために台本を書き上演しており、晩年まで演劇への興味は尽きることがありませんでした。
南吉が生涯に手がけた戯曲は、分かっているだけで15作あります。そのうち6作は初めから上演が決まっていたもの。小学校の同窓会の総会用には青年を主人公に、女学校で上演するものには、生徒たちが卒業後に体験するであろう実社会を題材にするなど、対象を意識してテーマやモチーフを選んでいます。細かい場面展開がなく、つくりがシンプルなのも特徴の一つです。こうした南吉の戯曲は、ストーリーや台詞の面白さで見せるものであり、彼の童話や小説と共通するところがあります。どの作品も短期間で完成させており、忙しい中で同級生や生徒のために書き上げようとしていることが分かります。
これまで南吉と演劇との関わりについて取りあげられることはあまりありませんでした。しかしその関わりは深く、「うた時計」や「川」〈B〉、「屁」といった童話や小説などにも影響が見られます。時には作品に臨場感を、また時には鋭い人物描写により作品にリアリティや笑いを生み出しました。南吉が演劇を通して得たものは、彼の作品にさまざまな効果をもたらし、読者が南吉作品に引き込まれる理由の一つにもなっているのです。
(文・「新美南吉記念館だより」bP24より)



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