2008年のニュース


第20回新美南吉童話賞表彰式が行われました。(2008.12.13)



 12月13日(土)、第20回新美南吉童話賞の表彰式を行いました。最優秀賞(文部科学大臣奨励賞)は、一般の部とだかずきさん作「かげつなぎ」が受賞しました。
 また、今回童話賞が20回目を迎えたのを記念して、木村明美さん作「じょうろのチョロ吉」に20回記念賞が贈られました。

 なお、三年連続で入賞された小学校低学年の部佳作の水谷天音さんは、とだかずきさんのお嬢さんで本童話賞始まって以来、初めての親子受賞となりました。



●設楽町立田口小学校で南吉作品の群読が行われました。(2008.12.5)



 12月5日(金)、愛知県北設楽郡の設楽町立田口小学校で群読の会「伝えよう新美南吉の世界〜群読の声をひびかせて〜」が開催されました。

 群読とは辞書にも載っておらず、聞きなれない言葉ですが、「複数の読み手による朗読」のことで、学校教育では割合取り入れられています。田口小学校は児童数が百人余りの小規模校ですが、10年前から群読に力を入れ、読売教育賞の国語部門で最優秀賞を受賞するなどその活動はよく知られています。
 今年は8月に6年生が半田を訪れ、記念館で南吉の童話を調べたり、生家を見学したりした後、校内で取材報告会を開き、全校で南吉作品を群読することに決めました。その後、6年生が下級生を指導する形で練習を重ね、11月にはNHK名古屋放送局チーフアナウンサーの田中孝宜さんからも指導を受け、12月5日の本番を迎えました。
 当日は、学年毎に南吉の詩や幼年童話の群読を披露。合間には、ゲストとして招かれた南吉の安城高女時代の教え子である加藤千津子さんと本城良子さん、田中アナウンサーによる講演もあり、最後に行われた「ごんぎつね」の全校群読までの約3時間、観客として訪れた保護者や地域の方々を南吉の世界へ誘いました。
 全学年が力を合せて取り組んできた群読はよく息が合い、心地よいリズムの中で聴く側の作品へのイメージが広がる素晴らしいものでした。



●アボリジニアートのワークショップを行いました。(2008.11.3)



 11月3日(祝)、オーストラリア先住民アボリジニのアートに日本の子どもが挑戦するワークショップを行いました。
 このワークショップは、美術展覧会の企画や美術教育プロジェクトを行うワンダーアート・プロダクション(東京)の主催で開催されました。周囲の自然や地形と一体になった新美南吉記念館の環境が、大地に根ざしたアボリジニアートに触れる場としてふさわしい、と会場に選ばれました。
 参加した子ども達は、オーストラリアからやって来たアーティスト、マリカ・パトリックさんから、アボリジニの伝説や文化について話を聞いた後、童話の森で土を取り、その土を使って泥絵の具をつくりました。昼食を挟んで、地元ボランティアによる「ごんぎつね」の朗読を聞いた後は、芝生広場に出て「ごんぎつね」の場面や風景など思い思いの絵を泥絵の具を使って描きました。
 マリカさんは子ども達の作品に感心しつつ、「オーストラリアからやって来て先祖代々のお話を聞いてもらったり、一緒に絵を描いたりできてとても楽しかったです。皆さんの絵も素敵でした。」と話していました。


中学生が職場体験に来ました(2008.8.6)




 市内中学校の生徒さんが新美南吉記念館で職場体験をしました。

<生徒の感想>
 今日は職場体験ということで様々な体験をさせていただきました。主な仕事はというと、「本のカバーの貼り付け」や「記事の切り抜き」、「広場の掃除」、「受付」、「アンケートの集計」、「商品の袋詰めです」などです。
 ほとんど、やったことのない仕事ばかりだったのでスムーズに進まなかったときや迷惑をかけてしまったときなどたくさんありました。だけど、担当の方々が優しく接してくださったので、緊張の糸も解け、すぐ慣れることができました。
 今後、この2日間の経験を生かして、将来やこれからの生活に生かせれるようがんばりたいです。


●折紙教室「七夕かざりをつくろう」(2008.6.28)



6月28日(土)、折紙教室「七夕かざりをつくろう」を行い、親子を中心に22名の方が参加されました。講師の新美文雄さんの説明を聞きながら、彦星、織姫、提灯、ヨットなどを折り、最後は用意された笹に取り付け、自分だけの七夕かざりを完成させました。


●堺市の小学生とテレビ授業(2008.2.19)


  

 2月19日(火)、大阪府の堺市立金岡南小学校、同久世小学校の2校とそれぞれテレビ会議システムを使っての「ごんぎつね」の授業を行いました。  
 堺市が進める「学校教育IT化推進事業」の一環として行われたもので、昨年に続き2回目です。前回は金岡南小学校だけでしたが、今回は久世小学校も参加しました。それぞれ4年生八86名と153名で、学校ではちょうど「ごんぎつね」を学習しているところ。児童が学校の紹介と、「ごんぎつね」を読んでの感想を発表すると、続いて矢口栄記念館長が記念館と南吉の生涯について話しました。その後、「ごんぎつね」や南吉に関する質問タイムもあり、あっという間の45分間でした。
 こうした授業をきっかけにして、子どもたちが南吉や「ごんぎつね」を身近に感じ、興味を持ってくれればと願っています。



●南吉生家前の常夜燈は今年で200歳(2008.1.1)


 
南吉生家と常夜燈

 新美南 吉の生家の向かいに、「文化五年正月吉日当村中」と建立日が刻まれた高さ5メートルほどの常夜燈が建っています。文化5年(1808)といえば、長崎港にイギリス軍艦が侵入したフェートン号事件が起き、間宮林蔵が樺太を探険するなど、世界の潮流のなかで鎖国日本が揺れ動き始めた年です。それから今年でちょうど200年。そこで今回は、建立200年を迎えた常夜燈と新美南吉の関わりについてご紹介します。
     * 
 常夜燈のすぐ隣には火除けの神ナある秋葉社の祠があります。常夜燈は村を火災から守る願いをこめて建てられたのです。現在は電気に替わりましたが、昔は当番を決めて毎夜灯明を灯していました。南吉は初期の童話「常夜燈の灯」で、空っ風の吹きすさぶなか苦労して灯明を灯す少女と、その灯を見守る星や北風を描いています。

 常夜燈の石段には小さなくぼみが20以上も空いています。これは南吉の小説にも登場する、子ども達が草つき遊びをした跡です。

「女の子達は、何処かその辺の道端でとって来た蓬の葉を、常夜燈の台石についている茶碗程の深さの円い穴に入れ、手頃な石でそれを搗いていた。音ちゃんは何よりその穴を見て驚いた。あきらかにそれは、この町の子供達によって長い年月にわたって繰返された、この単純な遊び――つまり石ころをもってその上で草の葉を搗き砕くということが、造り出したものに相違なかった。」
(「音ちゃんは豆を煮ていた」より)


 子どもの遊びと言えば、小説「花を埋める」に出てくる、地中に隠した花を探す遊びも常夜燈の前で行われます。この遊びを通じ、主人公の少年は好意を抱く少女に裏切られ、淡い初恋はもろくも崩れ去ります。
 幼い頃の南吉も、これらの小説と同じように常夜燈の前でよく遊んだのでしょう。8歳で養子に出されたときの体験を綴った文章(無題)も、「常夜燈の下で遊んでいるところへ、母が呼びに来て家につれられて帰ると…」と始まり、そのまま養家へ連れていかれたと書かれています。南吉にとって常夜燈は、幼い日の楽しさと悲しみの双方の思い出のなかにあるのです。
 辻に面した常夜燈は、道行く人々の目印でもありました。特に南吉生家前の辻は、知多半島を縦断する街道と横断する街道が交差する場所で、常夜燈の南には、「右半田もろさき 左かめさき三州」と刻まれた石の道標も残っています。常夜燈の脇から西へ行く道は大野街道と呼ばれ、「おじいさんのランプ」の舞台である大野に通じています。大野街道は、「牛をつないだ椿の木」「嘘」などでも主人公達が往来する重要な舞台として描かれています。
 つまり、常夜灯は信仰の象徴であると共に遊びの場でもあり、さらに道を往来する人々を見守る存在でもありました。このように大勢の人々に親しまれ、また彼らの人生を見つめ続けてきた常夜燈だからこそ、南吉は深い愛着を持ち、数々の作品に描いたのだといえるでしょう。
(「新美南吉記念館だより」No.134より)


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