「屁」。なんともおかしい、それでいて深く考えさせられる作品です。
 南吉作品には、「空気ポンプ」「久助君の話」など、子どもの心のうちを巧みに描き出した少年小説の一群があります。そのいくつかに「久助」という共通の主人公が登場するため、「久助もの」と呼ばれています。「屁」の主人公は「春吉」ですが、その心理描写の見事さから「久助もの」の代表的な作品といってもいいでしょう。
 この作品で、南吉は「偏見をもって他人を見てはいけない」といっているわけではありません。ましてや「人間、正直でなくてはいけない」と安っぽい教訓をたれようとしているわけでもありません。もっと人間の本質的な姿、そして社会の現実をユーモアのオブラートに包みながらもまざまざと描き出しています。
 しかし、倫理性を求められる児童文学において、「大人達が世智辛い世の中で、表面は涼しい顔をしながら、汚いことを平気でして生きてゆくのは、この少年達が濡れ衣を物云わぬ石太郎に着せて知らん顔しているのと、何か似通っている。自分もその一人だと反省して自己嫌悪の情が湧く。だがそれは強くない。心の何処かで、こういう種類のことが、人の生きてゆくためには、肯定されるのだと春吉には思えるのであった。」と作品を結ぶことは、非常に勇気のいることです。そうした「きわどさ」を持った作品にもかかわらず、「屁」は南吉の少年小説の代表作として、最近出版される作品集にもたいてい収録されています。このことは児童文学の既成概念に囚われず、子どもたちに人間や社会の本質を真摯に追求してみせようとする南吉の姿勢が読者に受け入れられている、ということを示しているのではないでしょうか。

屁を書いた頃の南吉 「屁」を書いた頃の南吉(右端)
「屁」が哈爾賓日日新聞に連載中だった昭和15年3月25日に三河湾を望む宮路山で。勤めていた安城高等女学校の上司、大村重由先生の送別会を兼ねてのピクニック。
※哈爾賓日日新聞…戦前、満州(中国東北地方)で発行されていた日系新聞。南吉の友人が勤め、文芸欄を担当していた。
舞台になった半田第二尋常小学校 舞台になった半田第二尋常小学校
南吉の母校で、昭和6年には代用教員として勤めたこともある現在の半田市立岩滑(やなべ)小学校。
田舎の小さい学校で、南吉入学当時の総児童数は6クラス248名でした。
“町の小学校”半田第一尋常高等小学校
現在の半田市立半田小学校。知多郡では最も大きな学校だった。
「大きな立派な小学校である。木造りの古い講堂があり、海老茶のペンキで塗られた優美な鉄柵が、門の両方へ伸びて行っている。」(「屁」より)
半田第一尋常高等小学校での運動会
「先ず春吉君が観客席の間を押しわけ、何か大変な椿事でも起ったかの様な慌ただしさで、運動場の中央へ向って横切ってゆく。蜘蛛手に張られた万国旗の中心になっている、先端に日の丸をつけた柱あたりまで馳せつけると、ぴたりと止まる。」(「屁」より)


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