百姓の足、坊さんの足


 「百姓の足、坊さんの足」には菊次と雲華寺の和尚という対照的な二人の主人公が登場します。二人は同じ日に亡くなり、共に連れ立って冥土へと向かいます。しかし、生前、自分の罪を自覚し、不自由な足を引きずりながらも痛みがとれたことを天に感謝していた菊次は極楽に行き、酔ってお布施の米を蹴散らしながら他人には善行を積むように説教し、それでいて自らの往生は疑いもしない和尚は地獄へと向かいます。
 この物語を読んで、「善人なおもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という「歎異抄」に記された親鸞の言葉を思い出された人も多いでしょう。菊次は自分が悪人、つまり煩悩から離れられない弱い人間であることを深く自覚していたからこそ、死後は極楽へと迎えられ、一方、和尚は罪を意識しないことの罪深さゆえに地獄へと落ちるのです。
 南吉はとくにその晩年、正しい生き方、価値のある生き方ということを考え、しばしば作品のテーマとしました。彼は若い頃から法華経や聖書を読み、人間の本質や愛について考える窓口として宗教に高い関心を持っていました。幼い頃に真宗寺院でお経を習い、大人になってからも住職と交流があった南吉ですから、当然、悪人正機を説く親鸞の思想についても無関心ではなかったでしょう。
 南吉は昭和17年4月22日の日記にこう記しています。
「ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔はしていないものである。自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。」
 「百姓の足、坊さんの足」が書かれたのはその翌月、昭和17年5月といわれています。

光蓮寺
岩滑にある真宗大谷派の寺院。南吉は幼い頃、ここでお経を習いました。先代住職の本多忠孝師は、南吉が中学生の頃に出していた同人誌「オリオン」に喜捨したり、南吉の死後、法名の「釈文成(しゃくぶんじょう)」を考えたりした人です。また先々代住職の善明師が、風貌、話し方などの点で「百姓の足、坊さんの足」に登場する和尚とよく似ていたそうです。



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