顕彰活動の歩み

 新美南吉の顕彰活動は、終戦直後、安城高等女学校の同僚・教え子による詩碑建立に始まりました。同時に巽聖歌(童謡「たき火」の作者・北原白秋門下で南吉の兄弟子にあたる)が精力的に南吉の童話集を出版して紹介に努め、昭和30年代から広く南吉作品が読まれるようになりました。これを受けて地元半田市でも顕彰の機運が高まり、昭和36年に半田市新美南吉顕彰会(第一次顕彰会) が設立されます。
 昭和47年に巽聖歌が亡くなった後は、新美南吉著作権管理委員会(現・新美南吉の会)が自筆原稿・ノート類を引き継ぎ、改作されて流布した作品をオリジナルに戻す作業を進め、昭和55年に『校定新美南吉全集』(大日本図書)が出版されました。この全集の刊行により、作品研究も一層進み、いまでは宮沢賢治と並んで「日本児童文学界の双璧」といわれる高い評価を得ています。
 平成6年に新美南吉記念館が開館し、翌年には「南吉研究 国語教育全国大会」が開催されました。平成10年には美智子皇后がご講演のなかで南吉の「でんでんむしのかなしみ」を紹介され、平成22年には天皇陛下と御一緒に新美南吉記念館へ行幸啓されました。そして、平成25年には生誕100年の記念行事が全国各地で行われました。近年では海外でも広く紹介され、新美南吉への関心はますます高まっています。  

で き ご と
昭和18年 3月22日、新美南吉永眠。
4月18日、はなれの家で葬儀が行われる。戒名釈文成。
   22年 2月5日、安城高等女学校19回生(南吉の担任クラス)が遺族から遺品を借り、同校作法室で「新美先生を偲ぶ会」を開く。
   23年 11月、安城高校(旧安城高等女学校)中庭にかつての同僚や教え子の手により「ででむし詩碑」が建てられる(最初の南吉顕彰碑)。
   28年 この年から「おじいさんのランプ」が中学1年生の教科書に掲載される(初めての教科書掲載)。
   29年 この年から「手ぶくろを買いに」が小学3年生の教科書に掲載される。
   31年 この年から「ごんぎつね」が小学4年生の教科書に採用される。
   34年 3月22日、光蓮寺で17回忌法要が開かれる。午後、柊会(半田高校同窓会)総会で巽聖歌が講演し、その後の歓迎会で新美南吉顕彰会を組織することが決まる。
   35年 『新美南吉童話全集』(大日本図書)が出版される。
   36年 1月17日、半田市新美南吉顕彰会が発足する。
12月、新美南吉顕彰会が雁宿公園に「貝殻詩碑」を建てる。半田市内での第1号碑。
   37年 3月、新美南吉顕彰会が『新美南吉代表作集』を発行する。
4月、巽聖歌が『新美南吉の手紙とその生涯』(英宝社)を出版する。
11月、初めての南吉詩集『墓碑銘』(英宝社)が出版される。
   40年 1月、『週刊朝日』に美智子妃と南吉の記事が掲載される。
2月、新美南吉の顕彰と巽聖歌の応援を目的に「たき火の会」が設立される。会長:桑原幹根愛知県知事。この後、7年余りにわたり雑誌『聖火』を発行する。
この年、『新美南吉全集』(牧書店)出版。
   41年 10月、生家横に「新美南吉生い立ちの地碑」が建てられる。
   42年 「たき火の会」が「新美南吉文学賞」を設立する。
   45年 10月25日、中日劇場で未来座が「貝殻の詩」を上演する。
   46年 3月、安城で『ででむしの歌』(狐牛会)が発行される。
巽聖歌が『新美南吉 十七歳の作品日記』(牧書店)を出版する。
   47年 5月、安城公園に「牛詩碑」が建てられる。
   48年 1月、東芝日曜劇場「貝殻の詩」が全国放送される。
弁護士の神谷幸之氏、画家の北川民次氏の尽力で養家が修復され、3月22日に完成式を行う。同日、南吉の友人の河合弘氏と久米常民氏が没後30年を記念して岩滑小学校で講演をする。
   50年 7月、養家裏の資料室ができる。
8月、河和港に「少女細く句碑」が建てられる。
   51年 9月、半田青年会議所が中心となり、詩「貝殻」の作曲を大中恩に委嘱し、この月に初演される。
同月、「新美南吉と河和」(美浜町教育委員会)発行。
   52年 1月、安城で「新美南吉に親しむ会」が発足する。
7月、岩滑コミュニティーセンター完成。3階に新美南吉資料室が開設される。この年、文学散歩の案内板が整備される。
   54年 1月、河和小学校に「石何年句碑」が建てられる。
3月、「ででむし詩碑」が安城高校の移転に伴い、安城市赤松町に移される。
   55年 6月、『校定新美南吉全集』(大日本図書)の刊行が始まる。
この年から「ごんぎつね」がすべての教科書に採用されるようになる。
   56年 3月、半田高校に「日記碑」が建てられる。
   60年 3月、光蓮寺で43回忌法要が行われる。同日、岩滑小学校に「権狐碑」が建てられる。
7月、(仮称)新美南吉記念館建設基本構想がつくられる。
7月、半田市立博物館に「たんぽぽ句碑」が建てられる。
7月〜9月、半田市立博物館で「新美南吉展」開催。
  62年 この年、半田市により南吉生家が復元公開される。
  63年 1月、(仮称)新美南吉記念館建設計画発表。
平成元年 3月、名鉄百貨店で全国巡回展「“ごんぎつね”新美南吉の世界展」開催。平成3年8月まで全国13会場を回り、延104日間に146,061人が来場する。同展実行委員会は半田市・毎日新聞社・HNHKで構成。
この年、半田青年会議所が第1回新美南吉童話賞(創作童話のコンクール)を開催する。
   2年 3月、愛知県の「愛知のふるさとづくり事業」に半田市の「ごんぎつねのふる里・岩滑整備事業」が選ばれる。
   3年 3月〜4月、新美南吉記念館の建築コンペが行われ、421点の応募作品から新家良浩氏はじめ3名の共同作品が最優秀賞に選ばれる。
   4年 5月25日、新美南吉記念館の起工式が行われる。
   5年 1月31日、生誕80年を記念し、安城市立新田小学校に「百姓家詩碑」が建てられる。
10月26日、生誕80年を記念し、安城市立桜町小学校に記念庭園がつくられ、「南吉のうた碑」が建てられる。
10月28日、新美南吉事業推進協議会「ごんぎつねの会」が設立される。会長:新美勝彦氏
   6年 6月、新美南吉記念館が開館する。
   7年 10月13・14日、「南吉研究 国語教育全国大会」が開かれ、全国から約1800名の教師が集まる。
   9年 7月28日、「新美南吉の会」から新美南吉の直筆資料など695点が半田市へ譲渡される。
  10年 国際児童図書評議会第26回ニューデリー大会で美智子皇后が「子供の本を通しての平和−子供時代の読書の思い出」と題した基調講演を行い、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」を紹介される。
  11年 10月1日、新美南吉に親しむ会が機関誌『花のき』特集号として『安城の新美南吉』を発行する。
10月9日〜10月31、デンパークで「新美南吉展-安城時代-」が開催される。
  15年 新美南吉生誕90年。半田市を中心に様々な記念事業が行われる。
7月19・20日、雁宿ホールで合唱オペラ「ごんぎつね」を上演する。
7月27日、新美南吉記念館で南吉生誕祭を行う。
同日、生誕90年を記念し、新美南吉記念館に「デンデンムシノカナシミ碑」が建てられる。
  17年 7月16日〜9月4日、安城市歴史博物館で企画展「安城と新美南吉」が開催される。
  18年 「ごんぎつね」が教科書に掲載されて50周年を迎える。
  19年 11月2日、NHK名古屋放送局が「金とく」“きつね”になった少年〜新美南吉・童話の世界〜を東海三県で放送する。その後、全国でも放送される。
  20年 9月13日、半田市雁宿ホールで座談会「教え子達が語る教師南吉」が開催される。
11月、新美南吉生誕100年記念事業検討委員会発足(委員長新美勝彦)。
  22年 6月15日、天皇皇后両陛下が新美南吉記念館をご訪問くださる。
11月1日、新美南吉生誕100年記念事業実行委員会発足(委員長新美勝彦)。
11月3日、新美南吉100歳1000日前祭開催。
  23年 3月24日、新美南吉童話イメージキャラクターが発表される。
9月26日、新美南吉記念館の入館者数が開館以来100万人を突破する。
10月2日、「ごんぎつね」誕生80年を記念して、「ごんぎつね」と新美南吉童話イメージキャラクター「ごん吉くん」に半田市から特別住民票が贈られる。
12月、新美南吉記念館は展示室リニューアルのため1か月間の休館
  25年 <新美南吉生誕100年>
1月5日、新美南吉記念館リニューアルオープン
1月5日〜6日、新美南吉生誕100年開幕祭
3月22日、新美南吉70回目の命日。没後70年「南吉を偲ぶ会」開催。
7月27日、新美南吉に半田市名誉市民章が贈られる。
7月27日〜8月4日、新美南吉生誕祭。
7月30日、新美南吉100回目の誕生日。新美南吉の著作権継承者名義が新美南吉の会から半田市へ移譲される。
同日、ででむし詩碑が安城市立桜町小学校(安城高等女学校跡)に戻され除幕。
10月19日、新美南吉生誕100年記念「南吉つぁんの山車揃え」開催。
12月21日、新美南吉生誕100年フィナーレ「夢つなぐ」開催。
 26年 3月22日、新美南吉71回目の命日。命日を「貝殻忌」と命名。
同日、半田市と安城市が「新美南吉ゆかりの地交流協定」を結ぶ。
7月31日、新美南吉101回目の誕生日。誕生日を「南吉さんの日」と命名。
11月24日、新美南吉記念館開館20周年記念シンポジウム・読み語りコンサート開催。


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