南吉の養母志もの写真が見つかる



 このほど、半田市平和町在住の青木正さんから新美南吉記念館に南吉の養母新美志もの写真が提供されました。2回の全集をはじめ、これまで多くの南吉や周辺の人々の写真が紹介されてきましたが、志もの写真が公開されるのはこれが初めてです。野良着姿の志もが穏やかに微笑むこの写真からは、南吉が「私のひ弱な子供心をあたゝめてくれる柔い温ものをもっていなかった」(無題「常夜燈の下で」)と書いた養母像とは随分違う印象を受けます。新美志もとは、いったいどんな人だったのでしょうか。
 写真は青木正さんが昭和27年頃に撮影したものです。志もは明治8年生まれ(昭和36年没)ですから、この時70歳代後半ということになります。場所は新美家の西側にあった田んぼで、時期は裏作の菜種の育ち具合からすると3月ぐらいでしょうか。遠くに今では削られてしまった阿久比町側の山並みが見えます。
 4歳で生母りゑを亡くした渡辺正八(南吉)が血のつながりのない祖母(りゑの継母)である志もの養子になったのは大正10年7月、8歳のときのことでした。新美家での生活は半年間だけでしたが、このとき味わった孤独は、南吉にとって生涯ぬぐいがたい影を残したようです。そのため、私達もつい志もに対しては温かみのないイメージを抱きがちです。しかし、実際の志もは、すでに『南吉おぼえ書』(神谷幸之著)で紹介されているように、働き者で人当たりの良い、それでいて芯は利口な人だったようです。
 今回、あらためて岩滑新田で彼女のことを尋ねても、「利口でなんご(誰にでも親切で人当たりが良い)な人」「近所の嫁姑の争いにも仲裁に入る人」「子どもが(新美家の)山桃の実を採りに行くと木に登って採ってくれた」といった話が聞かれました。また渡辺家に戻した南吉に対しても、学費を援助したり、亡くなる前には看病に通ったりするなど、養母としての気づかいを見せています。 
 南吉の死後は、自分の弟の孫である正敏さん(刈谷市在住)を養子にもらい、新美家の跡取りとしました。正敏さんの兄森桂さん(半田市平和町在住)は、「新美家に遊びに行くと、『ぼろ(小さな餅菓子)煎ってやるで正八にお参りしなさい。頭がようなるで。』と言われました。」と志もとの思い出を語ってくださいました。
 ぼろといえば小説「川〈A〉」に登場する老婆が思い起こされます。志もがモデルであろうこの老婆は、近所の子ども達にぼろをやり、町から養子に来た伸と「仲好うしてやってくれんかや」と頼みます。
 後妻に入ったために子育ての経験がなく、繊細で感じやすい南吉をどう扱っていいかわからない。しかし、「優しい老婆に可能な限りの愛でもって抱擁してくれた」(「川〈A〉」)。志もの南吉少年に対する態度はそうしたものだったのはないでしょうか。穏やかな表情を浮かべるこの写真を見ていると何だかそんな気がしてきます。

「新美南吉記念館だより」第113号(2004.7.1)より 一部改



戻る